湊かなえさんの書籍に触れたのは、恥ずかしながらこちらの書籍が人生初である。
Audibleのオススメにピックアップされていたので、気軽にポチってみたら、あっという間に没入してしまった。
というわけで、今日は湊かなえさんのご著書『夜行観覧車』について、読書感想を書いてみようと思う。
遠藤家を感じて思う:身の丈に合った暮らしをする大切さ
ひばりヶ丘という高級住宅街のなかで、背伸びをした暮らしをしている遠藤家。
その遠藤家の長女は、彩花という私立中学に通う女の子。
彩花は清修学院中等部中学受験をしていたのだが、失敗。
結果、ひばりヶ丘から徒歩で公立中学校に通うこととなる。
学校ではいじめられ、家に帰れば癇癪ばかりを起こしている彩花。
彩花の母親である真弓は、憧れのひばりヶ丘に家を建て満足した暮らしをしているように見えるが、住宅ローンを払うために自宅から少し離れたスーパーでパートをしている。
家に帰れば日常茶飯事となっている彩花の癇癪にうんざりしているが、癇癪の嵐がすぎるまでなんとか耐える日々。
ここだけ見ると、彩花のわがままに振り回されている真弓にうっかり同情してしまいそうになるのだけれど、実際はそんなに単純な話ではない。
彩花は真弓の夢の犠牲者?!
真弓は家にこだわりが強く、ひばりヶ丘の土地が購入できるという話を夫から聞くと、踊りだしそうなほどに喜んだ。
しかし、土地の話をもってきた夫の慎司は、とても不安そうなのである。
慎司は実際、このように言っている。
土地を手に入れても、そこに建てる家は周囲に比べて見劣りするものになるだろうし、自治会費も家計の負担になるほど高いはずだ。
「別の土地も見に行ってみないか」という慎司の提案を聞き入れず、ひばりヶ丘に家を建てることを譲らなかった真弓。
真弓は夢のマイホームを掴むことにとにかく必死だったように、私には思えた。
それに、彩花に中学受験の話を持ちかけたのも、母の真弓である。
“背伸びすればするほどに、自分の首をしめる可能性が高くなることを考えなかったのか?”と、もどかしくなった。
実際に彩花は、この住宅街から公立中学校に通う道中で、様々な葛藤を抱えている。
大人たちに、この中学生の気持ちは想像できるだろうか。
彩花の癇癪は度が過ぎるようにも感じられるが、夫の慎司が「そうして彩花は自分のことを守っている」と言うシーンで、私は思わず共感してしまった。
私は遠藤家を感じながら、改めて思った。
身の丈に合った暮らしをすることの大切さを。
高橋家を感じて思う:エリートにはエリートの世界があり、無理をすれば壊れるのは皆同じ
先述した遠藤家のお向かいに暮らしているのは、エリート家族の高橋家。
高橋家の子どもたちは以下のような肩書をもつ。
- 長男:良幸 京都大学医学部(自宅を出てひとり暮らし)
- 長女:比奈子 清修学院高等部
- 次男:慎司 清修学院中等部(彩花と同級生)
ちなみに、長男の良幸だけは母親が違う。
つまり、異母兄弟ということ。
良幸を連れた(父)弘幸と再婚した淳子との間に産まれた子どもたちが、比奈子と慎司というわけだ。
しかし、良幸と淳子との関係性も、比奈子と慎司との関係性も決して悪くはない、というところが、後々救いとなるポイントだと私は思う。
一見誰もが憧れを抱くような高橋家だが、この高橋家のなかで夜中に殺人事件が起きる。
事件当時、家にいたのは母親の淳子ち父親の弘幸のみ。
殺されたのは、夫である弘幸だった。
その当時、子どもたちはどこにいたのかと言うと、
- 良幸はもともと一人暮らし
- 比奈子は弟が勉強に集中したいということで友人宅に宿泊
- 慎司は息抜きにと、たまたまコンビニに行っていた(母親に行かされていた)
というわけで、誰もいなかったのである。
コンビニから自宅に帰ってきた慎司は、自宅に救急車が来ているのを見て、慌ててどこかに行ってしまう。
他者から見たら『疾走』だ。
このことをキッカケに、犯人は慎司なのでは?!と疑いをかけられてしまう。
結果、慎司は比奈子に見つかり、兄の良幸も地元に戻ってくる。
ここから兄弟たちの対話により、真実が明らかになってくる・・・。
兄や姉と比べたら勉強ができないこと自覚していた慎司は、中学でも「勉強についていくのがやっとだった」と告白している。
そんな慎司はバスケットボールが大好きなのだが、「勉強をしなさい」と母親である淳子から口うるさく言われていた。
淳子は慎司に対して、過剰な期待をかけているようにしか、私には見えなかった。
淳子がそうなってしまうのにも理由があって、それはやはり、自分ではない母親から産まれた良幸を意識していたのだろう、と私は考える。
つまり、慎司に無理をさせながら、淳子自身も無理をしていたのだ。
他人がどんなに羨むような暮らしをしていても、本人が満足をし、不安なく暮らせていなければ意味がない。
私はふと、こんなことを思う。

他者からの羨望のまなざしは、一体どんなときに役に立つのだろうか。
自分がどんな立場にいたとしても、地に足をつけた生活を送れる人はほんとうにすごいと思う。
世間では「比べるな」とよく言われるけれど、比べようと思わなくても他者との違いはどうしたって目に飛び込んでくるもの。
ましてや、若ければ若いほどに、そのような違いに敏感になるのは、至極当然なのではないだろうか。
着ている制服、身につけている者、まとっている雰囲気。
ありとあらゆるものが、比較の対象物となるのは仕方のないことだと思う。
どれくらい気になるか?については個人差があるものだけれど、全く気にならない人は、きっといない。
ましてや、比較の激しい環境のなかに身を置けばなおのこと、である。
無理をせずに過ごせたら、それほど良いことはない。
しかし、そうできないからむつかしいのだ。
世の中って、人間って、そんなに単純にはできてないことを改めて痛感している。
『夜行観覧車』の中でインパクト大! 彩花の証言“坂道病”が人の心理の的を射ていると思った
遠藤家の彩花はひどい癇癪の持ち主であり、母親の夢の犠牲者かもしれない・・・ということは先述した通りだ。
そんな彩花が、こんなセリフを呟いた。
普通の感覚をもった人が、おかしなところで無理して過ごしていると、だんだん足元が傾いているように思えてくるんだ。精一杯ふんばらんきゃ転がり落ちてしまう。でも、そうやって意識すればするほど、坂の傾斜はどんどんひどくなっていって、おばさんはもう限界だったんじゃないの。
無理している人だけが悪いわけではない。
無理させている人だけが悪いわけでもない。
特に家族間での出来事に関しては、
誰かひとりだけのせい、というよりは、均衡がとれているかどうか?のほうが重要になってくる場合も多い
と私は考えている。
ここには書かなかったが、遠藤家の母、真弓が、彩花を殺してしまいそうになるシーンも出てくる。
日々の癇癪に耐えて耐えて耐えまくった真弓の我慢の糸が、プツンと切れてしまったかのように、彩花に対して向かっていく様子には、とてもハラハラさせられた。
つまり、『母親だけが我慢すれば解決する』という問題は少なく、他者の介入によって解決の糸口が見えることは、とてもよくある話だと思う。
実際に彩花が死ななくて済んだのは、近所のおばさんがやってきたからだ。
真弓の日常は背伸びしながらの日々で、自ら誰かに助けを求められるような環境でもなかったように思う。
そう思うと、ひばりヶ丘に家を構えた時点で、真弓は身の丈に合った暮らしを手放してしまったようなものなのかもしれない。
娘が坂道病になっていることに気づかず、自分自身も坂道病にかかっていたのではないだろうか。
まとめ:こんな人の処方箋になるかも?!
初めて触れた湊かなえさんの『夜行観覧車』。
決して明るい情景ではないが、終盤、人の温かみが感じられる展開になるのが救われた。
私自身と言えば、サスペンスには興味が薄く、むしろ苦手なほうに入るジャンルだ。
しかし、『夜行観覧車』はスムーズに聴き進めることができた。
肝心の読了後も、後味は良好である。
もしかすると、自分自身の足元を再確認したい人や、誰かと自分を比べて落ち込んでしまいがちな人の処方箋になるかもしれない。
というわけで、最後までお読みくださりありがとうございました。
もりー