前回ご紹介させていただいた『夜行観覧車』ですっかり味をしめてしまい、立て続けに湊かなえさんの書籍を手に取りました。

今回手に取った書籍は、告白です。

私は湊かなえさんの書籍に触れると、自分自身のダークな部分と出会います。

書籍を聴きながら“うわぁ・・・・”と嫌悪感を抱きながらも、

あ、なんだかわかるかも。。。

と共感してしまう自分がいるのです。

それはまるで、田んぼに沈むのよう。

どういうことかと言うと・・・

まさにあの現象にそっくりだなぁと思うのです。

私にとって湊かなえさんの書籍は、その小石なのかもしれません。

日頃はあまり対峙しない自分の心の奥底に一石を投じてくれる、そんな書籍なのだと思っています。

思春期の特徴を説いた森口先生のセリフ

森口先生の娘は亡くなりました。

それも、クラスの生徒から殺されて。

そんな森口先生が、このようなことを言います。

思春期の特徴としてある時期、勉強やスポーツ、芸術面などの才能が、急激に伸びることがあります。やればやるほど成果が出るので、自信がつき、さらに頑張ろうと思います。自分の才能を過信しがちになる人もたくさんいます。しかし、有名なスポーツ選手にもスランプの時期があるように、才能はある程度伸びたところで、必ず頭打ちになります。実は、ここからが本当の勝負のしどころなのです。所詮自分はこの程度だ、とそのまま下降線を辿っていく人、焦らず結果が出なくても努力を続け、現状維持する人。ここが踏ん張りどころとさらに努力し、次の上昇線に乗る人。

中2の頃から成績が急激に伸び、高校で落ちこぼれた私

中学2年生の頃から、私の成績は急激に伸びました。

それにつながる大きなキッカケは、塾に通い出したことだと思っています。

その塾には友達もたくさんいて、私は学校同様、とても楽しく塾に通っていました。

それに加えて成績も伸び出したものだから、“私は勉強が好きなのだ”と勘違いしてしまったのだと思います。(後の祭り)

いろいろなことが重なり、私が入学したのは進学系の私立高校。

勉強が好きだ”と思っていたのは私の勘違いだった、ということを自覚したのは、入学して間もない頃でした。

私はすぐに高校生活に絶望を感じました。

それまでに感じたことのない絶望。

これが、私の人生初の大きな挫折だったと今でも思っています。

私が通った高校は校則がとても厳しく、クラスの雰囲気は勉強一筋でした。

それにクラスメイトの多くはお嬢様という感じで、お金持ちの家の子がたくさんいました。

実際に、ブランド物の腕時計をしている子もたくさんいました。

学校生活をエンジョイしているように見える子たちは、なにもかもが余裕そうでした。

まるで成績の順位など気にしていないような様子で。

実際に皆、成績がとても良かったです。

地頭が優れている子が多かった、というのもあったと思いますが、実は見えないところで必死に勉強をしていたのだと思います(今ならわかります)。

私はこの頃、はじめて知ったことがあります。

それは、「私も勉強してないよ~」ということは、「勉強してきました」の裏返しのセリフだということ。

「勉強してないよ」というセリフを真に受けていた自分を知ったとき、私は自分のバカさ加減にさらに呆れ、さらに落ちこぼれていきました・・・。

あの時よく学校を辞めずに踏ん張ったなぁ・・・と、今考えても思う。

親が子どもに対して思う“やればできる”は幻想?!

森口先生のセリフ第二弾。

3年生の担任をもつと、受験を前にして「この子はやればできるんです」と保護者のかたからよく言われるのですが、この子、の大半は、この分岐点で下降線をたどることになった人たちです。やればできるのではなく、やることができないのです。

私自身、やればできる子だ、と思い込んでいました

しかし、実際のところそうではありませんでした。

森口先生の言葉に出会いわかったことですが、当時の私はまさに、やることができなくなっていのでした。

高校で落ちこぼれたら、私の成績はどんどん下降し、校内マラソン大会では最下位。

部活に入るも肌に合わずに退部、ブランド物の服や腕時計の自慢話や勉強の話ばかりする子が多い中では、私はろくに友達もできない日々。

絶望しか感じられない高校生活で、何をどう頑張ればよいのか?わからなくなっていました。

しかし、そんな中でも少しずつ、通学電車のなかで友達ができ始めました。

気の許せる数少ない友達。

喜びも束の間、その子もいつからグレだし、退学してしまいました・・・。

今思えば、本当に挫折ばかりの高校生活。

森口先生のおっしゃるとおり、私は何もかもやることができなくなっていました。

落ちこぼれた私を救ったのはピアノだった

人生初の挫折に驚いたのは、本人である私だけでなく、母もだったことは言うまでもありません。

私は一人っ子だったということもあり、母の期待を背負っていたと思います。

高校入学直前まではやればできる子だったのだから、私の豹変ぶりは、母にとっても強烈な体験だったことは想像に難くありません。

実際に母は痩せてしまったし、当時の私がいつも弾いていたピアノ『~energy flow~坂本龍一』の音は、とても悲しそうに聴こえたと言っていました。

それは、私の奏でる音が実際に悲しい音だった、というよりは、母の気持ちを投影していたのではないかと思います。

4歳の頃から習い続けていたピアノを、私はずっと習い続けていました。

事情があって音大を諦めたけれど、ピアノは習い続けたし、弾き続けていました。

ピアノを弾いて癒やされていたのは、紛れもなく私自身でした。

何もできない無能な人間に豹変した後も、私はピアノを弾くことで自分を取り戻していたように思います。

できない自分を払拭するかのように、あの頃はピアノを弾いていたのかもしれません・・・。

まとめ:湊かなえさんの書籍『告白』と出会えた意義

私にとって強烈すぎた、森口先生との出会い。

この言葉と出会うために、私はこの書籍と出会ったと言っても過言ではないと感じています。

もちろん、私の心が揺さぶられたシーンやセリフはこれだけではありません。

しかし、あえてここにフォーカスして書いてみたくなったのは、あまりにも過去の自分と重なったからです。

私と同じような、あるいは近いご経験をされたかたもいらっしゃることでしょう。

そんな皆様は、ご自身のあの頃の記憶を、うまく消化できていますか?

私は恥ずかしながら、まだその途中なのかもしれません。

縁ある書籍は必ず、なんらかのカタチで自分の人生に影響を与えてくれるものだと思っています。

書籍に出てくる登場人物の言葉は、リアルな知り合いからかけてもらう言葉と同じように響くことが多くあります。

昔の記憶の扉がパカンと開いたり、未消化なままの感情に気づかせてくれたり、気持ちの整理を手伝ってもらえたり・・・。

魔法みたいで楽しいです!

というわけで、湊かなえさんワールドに、近いうちにまた浸りたいと思っています。

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もりー

最後までお読みくださり、ありがとうございました。