激動の時代。
SNSでは日々、さまざまな価値観による主張合戦が繰り広げられています。
「多様性」という言葉のもと、どんな考え方も生き方も“アリ”とされているように見える今。
しかし、
そんな感覚を、私はずっと抱いてきました。
しかしようやく、養老孟司先生の言葉に触れるなかで、日頃感じていた違和感が言葉になっていくのを感じたのです。
というわけで今回は、そんな印象を抱いた『養老訓』について、感じたことを書いてみようと思います。
多様性という言葉が作る、居心地の悪さ
ところで、

私が「多様性」という言葉に違和感を覚えるようになったのは、いつ頃からだっただろう。
言葉とは不思議なもので、効けば便利なのに、乱用されると途端におかしなものになる。
まるで薬のようだと、つくづく思います。
“多様性”も例外ではないと思います。
この言葉が使われ始めた頃、私は「そうだよね」と、その響きや意味に素直にうなずいていました。
そもそも、人はそれぞれそもそも違うもの、なのだから。
けれど、「多様性」という言葉があまりにも頻繁に耳に入ってくるようになるにつれ、次第に言葉だけが独り歩きしているように感じられるようになりました。
- 全部正解?
- 否定してはいけない?
- 男女という言葉を使いにくい・・・
まるで何も言えないような空気感。

なんだか押し付けがましいなぁ。
ここまでくると、どこか息苦しい感覚に苛まれるようになりました。
うまく言葉にできなかったモヤモヤが、ほどけた瞬間
正直に言えば、養老先生の書籍を読んですぐに、この違和感をうまく言葉にできたわけではありません。
しかし考え続け、一晩寝かせてみて、ようやく腑に落ちたことがあります。
それは、こんなことでした。
- 私がモヤモヤしていたのは、「多様性」という言葉そのものではなかった。
- その言葉が、価値観や正しさの話として使われているように思えた。
最近の私は、「多様性」という言葉を聞くと、「なんでもあり」と受け取ってしまうことがあります。
それがどうにも受け入れがたく、居心地の悪さを覚えていました。
そんなとき、『養老訓』のなかに 「何でもあり」は結構なこと という見出しを見つけたのです。
これは私にとって、目から鱗の一節でした。
「そうなの?」と、言葉の真意を知りたくて、何度も読み返しながら足を止めてしまったほどです。
けれど、読み進めるうちに見えてきたのは、私が想像していたような、無責任な「なんでもあり」ではありませんでした。
この章の終盤には、次のような言葉があります。
自然にはこちらの想像をはるかに超えた多様性があります。「何でもあり」です。そしてその多様性を感覚的に捉えられることこそが、頭を柔らかくする秘訣なのです。
『養老訓』 より
養老先生が語る多様性は、価値観の話ではなかった
養老先生の語る「何でもあり」には、いくつもの前提が静かに積み重ねられています。
それは、私たちが日々ジャッジしているような、価値観や正しさとは異なるものなのだと気付かされました。
もっと根源的で、揺るがないもの。
たとえば、人体の仕組みや自然の摂理、世の中の理といったものです。
- そもそも、人間を含む自然は思いどおりにならない存在であること。
- 社会は、理屈や正論だけで動いているわけではないこと。
そうした前提を踏まえたうえでの「何でもあり」なのだと気づいたとき、私の中で引っかかっていたものが、ようやく腑に落ちました。
- 「なんでもあり」という言葉は、自分たちの都合を押し通すための言い訳ではない。
- 自然界の仕組みや理(ことわり)を無視し、自分たちに都合のいい解釈をすることでもない。
そう理解できたことで、これまで感じていた違和感の正体が、ようやく見えてきたのです。
多様性という“言葉に”思考がこんがらがっていた、という気づき
先にも「言葉はまるで薬のようだ」と書きましたが、言葉とは、ありがたいものでもあります。
本書30ページからは、『言葉のありがたさを知る』という章が始まります。
この章を熟読すると、言葉が薬になるか、毒になるかの分かれ目が、少しずつ見えてくるような気がしました。
養老先生は、このように述べていらっしゃいます。
感覚が抜けた人たちは思考のすべてが言葉から始まってしまう。
本書より
この一節を読んだとき、私は思わず「これだ!」と直感しました。
それこそが、私のモヤモヤの正体だったのではないか、と。
養老先生の言葉はさらに続きます。
しかし実際には感覚の世界は人それぞれ全部違うということがわかっていれば、言葉を「ありがたいもの」だと感じられるはずです。
〈中略〉
ところが概念的思考だけが肥大化してしまい、言葉の世界から始まってしまうと、そのありがたさがわからなくなります。話が逆になる。通じることが当然であると思い込んでしまう。すると実は通じないほうが大量にあるということになかなか思い至らなくなります。
本書より
これを読むと、『多様性』や『多様性の時代』という言葉でまとめてしまうことの危うさが、よくわかります。
まとめ|多様性をもう一段深いところで考える
養老先生の語る“多様性”は、私がこれまで想像していたものよりも、ずっと広い次元の話でした。
今回この一冊に出会い、自分自身が視野狭窄に陥っていたことを、思い知らされました。
私の手元にあるこの書籍の中には、赤や緑や青の線がたくさん引かれています。
ここには書ききれないくらい、たくさんの気付きがありました。
“養老訓”は気付きが多くある分、咀嚼し反芻する時間も必要です。
だからこそ、時間をかけて思考を深めていくと、自分自身の内側に引っかかっていたわだかまりに気付くことができたのかもしれません。
“多様性”という言葉にどこか違和感を覚えている方は、ぜひ一度お手に取ってみてください。

最後までお読みくださりありがとうございました!