前回は、「検査を受けてお母さんはどうしたいんですか」と聞かれた件について書きました。

今回は、このシリーズ最後の記事です。

一連の出来事を振り返る中で、最後にたどり着いた私自身の気づきについてお話ししたいと思います。

私は相手の立場を考え続けていた

私は一連の出来事を振り返りながら考えていました。

  • もしかしたら私にも至らないところがあったのではないか。
  • もっと違う伝え方があったのではないか。
  • 相手には相手の事情があったのではないか。

そんなことを、何度も何度も考えていました。

相手の立場を想像して考えてみること自体は必要なことで、悪いことではありません。

むしろ、人と関わる上で大切な姿勢だと思っています。

しかし、あとから振り返ってみると、自分の気持ちを置き去りにしていたのかもしれません。

私は想像することと、正当化することは違うと気づいた

今回、ひとつ気づいたことがありました。

それは、

相手のことを想像してみることと、相手の行為を正当化することは違う

ということ。

私は色々と考え続けるうちに、

私にも原因があったのかもしれない

と思うようになりました。

人と人との出来事は、一方だけが原因とは限らず、自分にも振り返るべき点があることは少なくありません。

しかし、その考えが進みすぎると、

だから仕方なかったのかもしれない。

に変わってしまいます。

そしてさらに進むと、

私がもっとこうしていたら、起きなかったのかもしれない

という考えにまでたどり着いてしまうことに気づきました。

私はその考え方に違和感を覚えた

今でも、「私はどうしたらよかったのだろう」という思いは拭えきれずにいます。

しかし、考え続けるうちに、気づきました。

私が悪かったのではないか、と考え続けることは、傷ついた側にも原因がある、と考えることにつながってしまうのではないか?と。

もちろん、人間関係のトラブルには、お互いに改善できる点があることもあります。

しかし、相手の行為によって、娘たちが傷ついた事実までなくなるわけではありません。

  • 私に改善点があったかもしれないこと
  • 起きた出来事の問題点

これらは別の話です。

そこを混同してしまうと、傷ついた側が必要以上に責任を背負うことになります。

相手の事情は本人にしか分からない

今回、私はたくさんの「かもしれない」を考えました。

実際に、そうだった可能性はあります。

でも、それはあくまでも私の想像でしかありません。

本当のところは、本人にしか分からないのです。

分からないことを埋めようとして、どんどん自分の責任を探し始める。

それは、決して健全な姿勢ではないと感じています。

そして、この思考のもっとも怖いところは、そこに慣れてしまうことなのかもしれません。

慣れてしまうと、自分の出来事だけでなく、他の誰かの出来事まで「傷ついた側にも原因があったのではないか」という見方をしてしまいそうです。

私は、このことにも少し怖さを感じました。

今回の出来事で私が学んだこと

私は今回、改めて、相手のことを想像する姿勢は、とても大切だと改めて感じました。

でも、それと同じくらい、自分が傷ついた事実まで否定しないことも大切なのだと思いました。

相手の事情を想像する。

でも、自分の気持ちも置き去りにしない。

そのバランスが必要なのだと思います。

今回の出来事を経て、考えすぎることで見えなくなるものもあると知りました。

  • 相手の背景を想像しようとするあまり、自分が受けた傷までなかったことにしない。
  • 自分の反省点を探すあまり、相手の行為の問題点まで消してしまわない。

この線引きを大切にしていきたいと思っています。

また、先生との関わり方についても、改めて考えるきっかけになりました。

できることなら、心から信頼したい。

でも、同じ轍を踏まないためにも、自分の気持ちを守れる距離感は大切にしたいです。

聞かれたことに必要な範囲で答える。

私にとっては、そのくらいの距離感がちょうどよいのかもしれません。

相手の立場を想像することは、とても大切です。

でも、

その中で、自分の気持ちまで置き去りにしていないか。

ときどき立ち止まって、自分にも問いかけてみることが必要なのかもしれません。

もりー

このシリーズを最後まで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました✰