今日は冷蔵庫の中身がかなりスカスカだった。
朝から晩ごはんはどうする?問題が頭をもたげていたのだが、

日曜日くらいは楽をしたい・・・
という思いをとても強く感じていた。
そんな私は娘を相手に、簡単なディスカッションを重ね、ひとつの結論にたどり着いた。
それはこうだ。
出かけたついでに、〇〇の素のような合わせ調味料を買って来よう!
にもかかわらず、現実は違う結果となった。
混雑しているスーパーで、鶏のささみに気を取られていた私は、肝心なものが頭から抜け落ちてしまっていた。
とどのつまり、買ってくるのを忘れたのである。
ちなみに、鶏のささみが頭を支配していた理由は、お昼ごはんに食べたくて仕方なかったからだ。
結果的に、ささみ食べたい欲は満たされたので満足している。
さて、ここから書くのは、問題となった晩ごはんの件である。
豚ひき肉200グラム✕木綿豆腐350グラム=超豆腐ハンバーグ
いきなりだが、冷凍庫の中には『なめこ』があったので、味噌汁はなめこ汁にすると決めてあった。
そして、問題の主菜。
冷凍庫の中には、豚の挽肉が200グラム。野菜室にはピーマンのみ。畑に行けば長ネギがあり、納屋の中には玉ねぎがある。
この面々を見たところ、まず最初に思い浮かんだのが『麻婆豆腐』だった。

しかし、豆腐が1丁しかない・・・。
麻婆豆腐を作る際、いつも2丁の豆腐を使う我が家にとっては、かなり物足りないボリュームになるだろうと判断し、却下。
そして次に思い浮かんだメニューが、ピーマンの肉詰め。

しかし、それこそ挽肉が少なすぎる・・・却下。
そして次に思い浮かんだのが、豆腐ハンバークであった。

主婦の見えない苦労を知らしめたい!夫を連れ立ってネギ抜きに
太陽がもっとも元気な13時頃、私は夫を連れて畑に行った。
なぜなら、簡単にリクエストをする夫に、主婦の日頃の見えない労力を知らしめたかったからだ。
実際、「俺は麻婆豆腐がいい」と簡単に言うが、麻婆豆腐にありつくためには、畑に行ってネギを抜いてこなくてはならない。
こうやって書いてしまえば“なんだそれくらいのことか”と思えるような一連の行動だが、実行にはそれなりの労力が伴う。
こういう小さな労力の積み重ねで我が家の食卓は成り立っているのだ。
私は夫に、“実体験を通して、少しでもわかってもらいたい!”と思ったのだった。
畑でネギを抜いた後は、納屋に転がっている玉ねぎの皮むきをやってもらうことにした。
1つめの玉ねぎは、私がいつもやっているように実践して見せる。
すると早速、玉ねぎは潰れかけた水風船のようになった。
包丁をかけて力を入れた瞬間、ブシュッという音を立てて少し潰れ、水を吹き出したのだ。
夫は私の右側で、「ありゃーっ」という声を上げた。
見上げた夫の顔は、母音を残したまま口を半開きにし、情けないことになっていた。

私はさっさと2つめの玉ねぎに手をかける。
こちらは無事だった。
こんなことをいちいちレクチャーする理由は、以下のようである。
納屋に転がっているヒネ玉ねぎは、スーパーで売っている玉ねぎのようにはいかない。
半分に切ってみないと中身の様子はわからず、かつ、皮は厚めにむかなくてはならない。
切りながら、可食部を見極める必要があるのだ。
結果的に夫は、合計3つの玉ねぎをさ捌き、生ゴミとなった皮やらを、腐葉土スペースに捨てに行った。
ここまで軽く15分はかかっていると思われる。
食事の支度には、とにかく労力がかかるのだ。
炊事を家族の誰かに任せっぱなしの大人たち、どうかたまには感謝の言葉を!!
超豆腐ハンバーグを作る
思いっきり水切りした350グラムの木綿豆腐と200グラムの豚ひき肉を、じっくりと捏ねていく。
その前に、納屋から持ってきた玉ねぎをみじん切りにし、バターで炒めておいた。
これらの材料とナツメグ、パン粉と卵、塩コショウとケチャップなんかを適当に入れて、豆腐を潰すように捏ねた。
良い塩梅になってきたところで、楕円形にして蒸し焼き。
それなりのボリュームの超豆腐ハンバーグが4つ、無事に完成した。
夫が発した「あ、豆腐だね」にカチンときた理由
これが出来上がった、超豆腐ハンバーグ。見た目は普通のハンバーグ(だよね?!)
(地味な大皿は実母から譲り受けたもので、とても気に入っている)

食べた途端に「あ、豆腐!」と直感した、この超豆腐ハンバーグ。
それでも私は、とても満足だった。
あるもので、4人の腹が満足するハンバーグに仕立て上げることができたことに、満たされていた。
そこに夫が放った言葉が、

だったのである。
そうだね、言わんとすることは、わかる。
でもね、そういうことじゃないんだよ。
350グラムの豆腐1丁と、200グラムの豚ひき肉を工夫して作ったんだよ、私は。
だから、たしかに豆腐の味は強いけど、豆腐じゃないんだよ。
超豆腐ハンバーグであることは認めるが、豆腐じゃないんだよ。
私にとってその差は、非常に大きいものだった。
だって、考えた時間も、作った時間も労力も、すべてが詰まっているのだから。
ネギを抜いて玉ねぎを引っこ抜いたくらいじゃ、夫には伝わらなかったか・・・と少し残念な気持ちになった。
「私には稼ぎがない」という事実が、自分を卑下する理由になっていた
ここまで書いて次に私が書きたいことは、
「なんだかんだで外で働く夫に感謝」
ということではない。
これまでの私は、そう書いたところで終わっていただろう、確実に。
しかし、今日のわたしは違う。
まず、大前提として。外で働く夫に、感謝をしている。
だからこそ、お弁当をサボることはほとんどないし、毎日の食卓もできるだけ健康的なメニューで揃えたいと思っている。
だけれど、このような私の行いは、夫への感謝の気持ちだけでなく、自分を卑下しないための手段だったのではないか?と思えて仕方がないのである。
または、「夫に感謝」という言葉に逃げているとも言い換えることができるのかもしれない・・・。
だから、夫の言葉にカチンと来ても言い返さない。いや、言い返せないのか・・・。
喧嘩を売りたいわけではない。
でも、“私は稼げないから”という無自覚な理由付けで、自分をさっと下げるクセがあるような気がして仕方がないのだ。
だとすると、全く健全ではない。
今のところどうするのが得策なのかはわからないが、このままでは良くない。
せめて、私が「外食したい」「買って済ませたい」などという感じで、炊事の負担を減らしたいと思った時に、その選択肢を選べるくらいにはなりたい。
無理して作ることを続けるから、最も手軽な『自分を下げる』という手段を思考停止で選んでいるような気がする・・・。
こう気付いてしまったからには、「稼げない」という言葉に逃げたり、自分を下げないようにする努力が必要だ。
やはり、金銭的豊かさは、人の心にも影響する。
だから、私はやっぱり稼ぐ力をつけたい。
そんなことを痛切に感じさせられた超豆腐ハンバーグは、娘たちにはとても好評だった。
