7月にシリーズで書いていた、次女の強迫症について。

そして、その引き金となった教育支援センターの先生との出来事。

夏休みの約1ヶ月半の間、この2つの件にそれぞれ進展がありました。

そこで、改めてこれまでの経緯と今の様子を記録として残していこうと思います。

今回はまず、次女の強迫症の「その後」についてお伝えします。

大人の強迫症に関する情報はたくさん見かけますが、子どもの症例や体験談はまだ少ないと感じています。

これはあくまでも、我が家のひとつの事例です。

お子さんによって症状の出方や必要なアプローチは一人ひとり異なります。

そのため、ここに書く内容をそのまま当てはめようとせず、「こういうケースもあるんだな」という一つの参考程度に受け止めていただけると幸いです。

目に見えるスピードで悪化したASD次女の強迫症状

この1ヶ月半の間、次女の強迫症は目に見えるスピードで悪化していきました。

手洗いが止まらないだけでなく、持ち物や衣服に対するこだわりも増え、自身の部屋が聖域化されたことで、本人もとても窮屈そうです。

ここからは具体的な事例をご紹介していきます。

布団という「聖域」を汚さないためのアレコレ

そもそも私は「聖域」という概念を知りませんでした。

この言葉を知ったきっかけは、『本人も家族もラクになる 強迫症がわかる本』という書籍を読んだことです。

次女は自身の「聖域」に決して人を入れません。

一度だけ、私の手が次女のベッドに触れてしまったことがあるのですが、それがきっかけでパニックになってしまいました。

汚(けが)されてしまった「聖域」をリセットするまで、次女の戦いは終わりません。

干せる布団は干し、洗えるシーツ類は洗う……といった儀式が延々と続きます。

とはいえ天候にも左右されるため、親の側も一苦労です。

手伝うことすらできないため、苦しむ姿をただ見守るしかないのが親としても一番つらいところです。

リセットが上手くいかないと、布団を敷かずに眠ろうとします。

一度、座ったまま眠ろうと試みたこともあったようですが、23時を過ぎた頃に体が限界を迎え、「ゴツゴツしたベッドの上に薄い敷布団を敷いて眠る」というところで落としどころを見つけた様子でした。

それくらい、彼女にとって「聖域」は文字通りの聖域であり、死守することに(大げさではなく)命をかける勢いなのです。

心の持ち方|主語を「病気が」にして考える

次女の行動だけを見ていると、一見すると正常な判断ができず、無鉄砲なことをしているようにしか見えないこともあります。

しかし病気について知り、冷静にその行動を追っていくと、彼女自身が病気に支配されて苦しんでいるのだと分かるようになりました。

私は次女に「ハリガネムシとカマキリみたいだね」と話したことがあります。

本人がそうしたいわけではないのに、そうせずにはいられない。

曇天のなか布団を干したいわけではないのに、干さずにはいられない。

つまり、もっとも困っていて苦しいのは次女本人なのです。

だからこそ私は、次女と私の間に「強迫症」という存在を挟んで見つめるようにしました。

そして、考えるときの主語を「次女が」ではなく「病気が」と置き換えるようにしています。

主語を「次女」にしてしまうと、どうしても本人と向き合う中でぶつかってしまいます。

しかし主語を「病気」に置き換えることで、次女と私は同じ敵に向かって並び立ち、同じ方向を向くことができるようになります。

これによって、少なくとも感情的にぶつかる機会はぐっと減ると感じています。

それでもパニック自体が減るわけではありませんが、親子の関係性が破綻しないことこそが、今一番大切なのだと考えています。

もりー

最後までお読みくださりありがとうございました☆