今回は、西野亮廣さんの書籍『ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある』について、読書感想を書いてみようと思います。
正直に言うと、これまで西野さんのことを深く知っていたわけではありません。
だからこそ、この本は驚きの連続でした。
西野さんの覚悟や挑戦、そしてその考え方が、ここまで胸に響くとは思っていなかったのです。
オーディブルで初めて触れた、西野亮廣さんのエッセイ『ゴミ人間』
オーディブルの装丁がふと目にとまり、そこには『ゴミ人間』と書かれていました。
なんともインパクトの強い言葉じゃありませんか。
思わず気になって聴き始めたのですが、内容は想像とはまったく異なるものでした。
西野さんの置かれていた状況には驚かされつつも、共感できる部分も多く、気づけばあっという間に物語に引き込まれていました。
また、柴野嵩大さんの朗読もとても素晴らしく、情景が自然と浮かぶような聞き心地の良さも印象に残っています。
「夢を追えば笑われ、行動すれば叩かれる」──西野亮廣さんが語る現代社会の本質
西野亮廣さんは、「夢を追いかければ笑われて、行動すれば叩かれる」と語っています。
この言葉は、まさに現代社会の本質を表しているように感じました。
西野さんは、人のあたたかさと残酷さ、その両方――いわば“光と影”を、身をもって体験してきた方なのだと思います。
それでも決して奢ることなく、悲観して立ち止まることもなく、自分の道を一歩ずつ歩み続けてきた。
その姿勢に、強さと誠実さを感じました。
Audibleの作品紹介にも、このような一文があります。
ゴミ人間=日本一の嫌われ者だった西野亮廣が届ける、弱った心に効く言葉
えんとつ町は煙突だらけ。
そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。
黒い煙でモックモク。
えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。
中略
えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会そのものです。
ファンタジーなどではありません。私たちの身の回りで実際に起きていることです。
黒い煙に覆われたあのとき、あの場所で、それでも西野が「星の存在」を信じ続けられたのはなぜか。
Audible『ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある』より
私が特に頷いたのは、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる という一文です。
本当に、現代社会そのものではないでしょうか。
叩かれまくっても諦めず、夢を追いかけ続けた西野さんが見つめた日本社会が、冷静に描写されています。
夢をつい見失ってしまいがちな大人たちこそ、一度触れてみると良い書籍かもしれません。
西野亮廣さんが言う印象に残った言葉の数々
心に響く言葉がいくつもあったので、私はその都度一時停止をし、手帳に書き留めたほどです。
というわけで、ここからはそれぞれに分けてご紹介してみます。
期待しようとするリスク↔期待に追いつこうとするチカラ
現代はどちらかと言うと、「期待しない」ことが良しとされる傾向にあると感じるのは、私だけでしょうか。
特に子育てにおいては、子どもに過度な期待を寄せないほうがいい、という考え方が広く受け入れられているように思います。
実際、私自身もそう考えてきたひとりです。
というのも、期待にはこのようなリスクがあるからです。
- 相手から裏切られる
- 相手にとって重荷になる
だからこそ、「期待しないほうがいいのではないか」と感じた経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。
しかし、西野亮廣さんの言葉に、ハッとさせられました。
そんな視点が、すっかり抜け落ちていたことに私は気付きました。
たしかに、期待にはリスクも伴います。
けれど同時に、「追いつこうとする力」にもなり得る。
どちらに転ぶかは、状況次第かもしれません。
それでも、「期待はしないほうがいい」という思い込みは、ここから少しずつ手放していこうと思いました。
作品≠商品
これは、まさに目からウロコの気づきでした。
商品とは、
お客さんのニーズに応えるためにつくられたもの。
一方で作品とは、
自分の「好き」や「偏愛」を貫いて生まれるもの。
この二つは、似ているようでまったく別物なのだとわかりました。
これまで私は、「商品」と「作品」を明確に分けて考えたことがありませんでした。
消費者や受け手として過ごす時間が長かったからこそ、あえて意識する機会がなかったのかもしれません。
けれど、私はいまYouTubeをつくり、こうしてブログも書いています。
つまり、“つくる側”にも立っている。
だからこそこれからは、商品と作品の違いを、もう少し意識しながら向き合っていきたいと思いました。
お客さんに届いて、初めて『完成』
この考え方も、私自身のYouTubeやブログに置き換えて、深く考えさせられました。
西野亮廣さんの言葉によれば、お客さんに届いていなければ、それは「未完成」と同じだと言います。
たしかに、その通りだと感じました。
私はどちらかというと、データを分析したり、数字を追いかけたりすることが得意ではありません。
そのため、自分が楽しめることを第一に、発信活動に取り組んできました。
けれど、実際に「観られていない」という現実に向き合ったとき、落ち込んでしまう自分がいるのも事実です。
この言葉は、まさに核心を突いているように思います。
顧客≠ファン≠ファンだった人
これらの言葉も、これまで明確に定義づけしたことがありませんでした。
顧客とは、
サービスや商品を購入してくれる人。
ファンとは、
自分の活動を応援してくれる人。
では。
ファンだった人はどうなるのでしょうか。
西野亮廣さんは、ファンだった人はやがて、“株主のような立場”になってしまうことがある、と語っています。
つまり、見せ方やサービスに口を出し、「こうあるべきだ」と、提供者をコントロールしようとする存在。
そしてそこには、「変わってほしくない」という思いが、潜んでいるのだといいます。
とても的を射ていると感じました。
これもまた、目からウロコの気づきです。
この関係性は、ファンや顧客に限った話ではなく、友人関係や親子関係においても、起こり得るものではないでしょうか。
本当に相手のことを大切に思うのであれば、その人の変化も含めて、受け入れ、応援できる関係でありたい。
そんなことを、強く考えさせられました。
『ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある』は、踏ん張りたいときに背中を押してくれる一冊
今回は、西野亮廣さんの『ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある』について書いてみました。
叩かれても決して諦めず、掌を返されても人を見放さない。
そして、常に柔軟な思考と態度を持ち続けることの大切さを、この一冊から教えていただいたように感じています。
また、心の底から諦めたくない夢があるのなら。
辛抱強さや、自ら矢面に立つ覚悟が必要不可欠であることも、強く実感しました。
まさに、
根性論が淘汰されつつある現代においても、この言葉はやはり普遍の真理なのではないでしょうか。
いま、踏ん張り時にある私にとって、とても励みになる一冊でした。
同じように踏ん張り時にある方や、諦めたくないことがある方は、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

もりー
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆