『ありか』をきっかけに、瀬尾まいこさんの作品に浸った2月前半。
Audibleの“古い順”から無料対象作品をたどりながら、物語の世界に触れていきました。
瀬尾まいこさんの作品は、物語の舞台がとても身近に感じられます。
だからこそ、登場人物の抱える悩みや心情が、他人事ではなく、すぐそばの誰かのことのように迫ってくる。
想像するハードルが低い分、気づけば深く没入している。
その感覚こそが、瀬尾まいこ作品の魅力なのだと、強く感じました。
そして今回、特に心に残ったのが『そして、バトンは渡された』でした。
勝手に同情する人間の性に気付かされる
幼い頃に母を亡くし、小学生で継母と出会い、父の海外赴任を機に継母を選んだ優子。
大人の事情に翻弄されながら育った主人公です。
この設定だけを聞けば、多く大人がこう思うかもしれません。
「かわいそう」「不幸なのではないか」と。
けれど物語の冒頭、優子のあるセリフによって、その印象は覆されます。
「幸福」や「不幸」を、私たちは型にはめていないだろうか
高校生の優子のセリフに、私は早速立ち止まりました。
困った。全然不幸ではないのだ。
〈中略〉
いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。
『そして、バトンは渡された』より
私はこのセリフに触れ、“不幸ではないことに困っている”という感覚に、思わず共感してしまいました。
相手が重大だと思っている出来事が、当事者にとってはそうでもない。
むしろ、勝手に同情されることで肩身が狭くなる・・・そんな経験はないでしょうか。
優子は続けてこう言います。
普通に毎日を過ごしているだけなのに、期待を裏切っているようで肩身が狭くなってしまう。無理した覚えなどないのに、元気なだけで気遣われてしまう。平凡に生活しているだけで引け目を感じなくてはいけないなんて、それこそ不幸だ。
本書より
「幸福」や「不幸」には、決まった型などないはずです。
それでも私たちは、無意識のテンプレートに当てはめていないだろうか。
優子の環境はたしかに珍しい。
先生が気にかける気持ちも理解できる。
けれど、“珍しい”ことと“不幸”はイコールではない。
その当たり前のことに、私はハッとさせられました。
「悩みを聞くよ」という言葉の裏側
物語を読み進めるうちに、もう一つ、私の中にあった違和感が浮かび上がりました。
「悩みを聞くからいつでも話してね」という、ありふれた言葉。
いつからか、私はこのセリフに少し身構えるようになっていました。
「話してね」「聞くよ」という言葉の奥に、相手の“欲”・・・。
「必要とされたい」「役に立ちたい」という思いが、透けて見えてしまうことがあるのです。
もちろん、善意を否定したいわけではありません。
けれど、本当に話したい相手には、言われなくても自然と話すものではないでしょうか。
優子もこう語ります。
先生たちは、いつだって私が悩みを打ち明けるのを待っているのだ。私に必要なのは悩みだ、悩み。これだけ手を広げて受け止めてくれようとしているのに、何もないのでは申し訳ない。こういうときのために悲惨なできごとのひとつくらい持ち合わせていないといけないな。
本書より
“悩みがないこと”が申し訳なくなる構造
“悩みを持っていないことが申し訳ない”。
ここに、人の善意と無意識の期待が交錯しているように感じました。
人はときに、誰かの悩みを通して自分の存在意義を確かめたくなる。
それは決して悪意ではないけれど、当事者にとっては息苦しさになることもある。
この物語は、“同情”や“善意”のあり方を静かに問いかけてきました。
『そして、バトンは渡された』読書感想まとめ
この物語に触れているときも、触れたあとも、私は自分の内側を見つめることになりました。
私はこれまで、誰かの状況を勝手に「大変そう」と決めつけていなかっただろうか。
「悩みがあるはずだ」と、無意識に期待していなかっただろうか。
善意は、ときにあたたかい。
しかし、ときに重荷にもなる。
困った。全然不幸ではないのだ
このセリフは、自分自身を再確認させてくれるワンフレーズになりました。
家族の形も、幸せの形も、人それぞれ。
けれど大切なのは、自分がどう感じているか、でしかありません。
そんな当たり前で、でも忘れがちなことを、思い出させてくれる一冊でした。
物語のあたたかさを声で味わってみたい方は、ぜひAudibleで『そして、バトンは渡された』を聴いてみてください。

もりー
最後までお読みくださりありがとうございました。