
ああ、こういうふうに繋がっていたのか・・・!
物語が終盤に差し掛かるにつれて、思わず息をのみました。
『赤と青とエスキース』は、人と人との“縁”が静かにつながっていく物語です。
それまで別々に見えていた出来事や、人と人との関係が、ひとつの線として繋がっていく感覚。
ひとつの絵「エスキース」を中心に、さまざまな人物の人生が交差していきます。
『赤と青とエスキース』は、そんな“つながり”の連なりを描いた作品です。
私にとってこの物語は、目に見えない“ご縁”について、考えさせてくれるものでした。
始まりと終わり、そして「続けること」の難しさ
この物語は、
始まれば終わる
『赤と青とエスキース』 より
という一文から始まります。
こんなにも当たり前のことを、私たちはどれくらい日常の中で意識しているのでしょうか。
少なくとも、若かった頃の私は、終わりを強く意識して何かを始めることはほとんどありませんでした。
勢いがあったからこそ、スタートは簡単でした。
けれど、継続が難しくなってきたとき、はじめて「終わらせること」の重みを実感したように思います。
そして、物語はこんな言葉へと続きます。
スタートさせるのは思いのほか容易なことで、おしまいはいつも、あっけない。
本書より
難しいのは、続けること。
どこが最終地点なのかわからないまま、変わりながら、だけど変わらないで、ただ続けること。
この一節が、ずっと心に残っています。
40歳を過ぎた頃から、私は「やめないでいる」というスタイルを持つようになりました。
成果が出るかどうかはわからなくても、やめない。
この先どうなっていくのか見えなくても、やめない。
ただ続けた先に、何が待っているのか。
それを知りたいと思っているのだと思います。
エスキースがつないでいく人と人
ひとつの絵、エスキース。
それが生まれるきっかけとなった男女、そして、その絵をきっかけに画家として歩き出したひとりの男性。
エスキースは、さまざまな人の手を渡りながら、少しずつ育っていきます。
その過程に、私はどうしても希望を感じてしまうのです。
自分自身のことに重ねてみると、
私が立ち上げたボランティアユニットもまた、スタイルを変えながら、さまざまな人と縁を結び、少しずつ形を変えてきました。
ここであえて「熟成」という言葉を使いたいと思いました。
「育つ」というよりも、時間をかけて変化し、深まっていくような感覚に近いからです。
自分が立ち上げたチームであっても、ひとりで続けていくことはできません。
むしろ、少しずつ自分の手を離れ、いろいろな人の手によって支えられている。
そんな感覚さえあります。
自分が生み出したものであっても、それはイコール自分自身ではない。
そのことは、忘れずにいたいと思います。
『赤と青とエスキース』が教えてくれたこと
「赤」と「青」に込められた意味も、読み終えるころにふっと腑に落ちます。
なぜ、赤と青なのか。
タイトルに込められたものが、物語の中で回収されていく感覚が、とても心地よく感じられました。
エスキースとは、いわば「下絵」のことです。
けれど、この物語を通して感じたのは、ひとつの作品の背景には、思いがけないきっかけや、いくつもの“縁”が重なっているということでした。
完成されたものだけを見ていると気づけませんが、その一枚の奥には、濃い物語が息づいていることもあるのだと思います。
心に残った一節があります。
無名だった頃には見向きもされなかった絵が、評価を受けた途端に価値を持ち始める。
本書より
絵そのものは何も変わっていないのに、変わるのは世の中の価値観のほうだといいます。
それは「運」とも言えますし、「縁」がもたらした結果なのかもしれません。
けれど、そのどちらも、自分の力だけではどうにもできないものでもあります。
うまくいけばラッキー。
そうでなければ、どこか理不尽にも感じてしまいます。
そんな現実を、私はまだうまく受け止めきれていません。
おわりに|私の人生はエスキースなのか
人との出会いも、出来事も、すべては偶然のようでいて、どこかでつながっているのかもしれません。
だからこそ、今ここにある“縁”を、大切にしていきたい。
そして、この物語に触れて、私はこんなことを思いました。

私の人生は、まだエスキースなのか。
それとも、これもすでに本番の一部なのか。
一度きりの人生。
見えない水面下でも、物事は動いている。
未来に待っているご縁を楽しみにしながら、これからも自分なりに歩んでいきたいと思います。

もりー
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆