ずっと気になっていたBUTTERを、オーディブルで聴きました。
この作品は、物語に没入するまでに少し時間がかかりました。
おそらく、序盤では展開の全体像が見えにくかったからだと思います。
しかし後半に入る頃には、すっかりこの世界観に引き込まれていました。
- バターを軸に描かれる物語。
- 破壊と再生を繰り返す人間関係。
- そして、現代社会に潜む価値観や偏見。
さまざまな要素に思いを巡らせながら、じっくりと味わうことができました。
カジマナと里佳|“特別でありたい”という欲望
梶井真奈子(通称カジマナ)の取材を進めるうちに、次第に彼女の手のひらで踊らされていく週刊誌記者・町田里佳。
人(特に女性)に心を開かないカジマナに近づくため、手段を選ばず突き進む里佳の姿は、どこか危うさを感じさせます。
一見すると、カジマナは里佳に心を開きかけているようにも見えます。
だからこそ、
と、錯覚してしまう。
これは、誰にでも起こり得ることではないでしょうか。
“オンリーワンでありたい”という気持ち。
その優越感は、程度の差こそあれ、誰の心にも潜んでいるものだと思います。
そしてその座を失いたくないという思いが強くなるほど、人は冷静な判断を手放してしまうのかもしれません。
伶子という存在|親しさの中にある距離の難しさ
カジマナと里佳の関係性に深く関わっているのが、里佳の友人・狭山伶子です。
才色兼備で、穏やかな結婚生活を送っているように見える伶子。
一見すると、何ひとつ問題のない暮らしを手にしているようにも映ります。
しかしその内側には、人には言えない葛藤や悩みが存在しています。
里佳と伶子の関係が少しずつギクシャクしていく様子からは、
が伝わってきました。
そして、カジマナという存在を中心に据えたとき。
揺らぎながらも、なお繋がろうとする二人の関係から、友人とは支え合える存在であることを改めて感じさせられます。
「境界線」を引くということ|外側に揺さぶられないために
他者や社会との境界線が曖昧になってしまうことは、誰にでもあるのだと思います。
とくにSNSが身近な現代。
流行に振り回されたり、誰かの言葉に心を乱されたりと、本来は自分とは直接関係のない出来事に、気持ちを揺さぶられる場面も少なくありません。
私自身もまた、社会や他者との距離感をうまく掴めず、戸惑うことがあります。
この作品の中で、そうした「外側との距離の取り方」は、こんな言葉で表現されています。
壁を築くとは何も肩をいからせ、他者を拒絶することではない。
ひとりの作業に没頭し、己の砦を守ることではないだろうか。
『BUTTER』 より
この一文に触れたとき、私が日頃大切にしている時間を思い出しました。
- 手帳を書くこと。
- 読書をすること。
- ピアノを弾くこと。
そして、正直なところ苦手意識のある料理も、もしかするとそのひとつなのかもしれません。
ただ「好きだから」や「生活のために」というだけでなく、
と気づかされました。
バターという“生命”|食べることと欲望の関係
舞台は、一時期話題になった「バター不足」の時代背景の中で描かれています。
バターに強いこだわりを持つカジマナと、料理にすらあまり関心のない里佳。
対照的な二人。
しかし、里佳は取材を通して、次第にバターの魅力に取り憑かれていきます。
牛乳から作られるバター。
その源をたどれば、牛という生命の営みに行き着きます。
普段は意識することのないその事実も、人間の母乳を思い浮かべると、ふと現実味を帯びてきます。
カジマナにとって欠かすことのできない存在である、高カロリーで濃厚なバター。
里佳はそれを何度も味わいながら、単なる「美味しさ」ではない感覚に触れていきます。
それはきっと、生命の源をいただいているという、どこか背徳的な感覚。
あの独特な香りは、ただの風味ではなく、“生命の気配”のようにも感じられました。
だからこそ、あれほどまでに強く、人を惹きつけるのかもしれません。
読み進めるうちに、私自身も無性にバターを味わいたくなり、たっぷりとバターを使ったパウンドケーキを焼いて食べました。

社会が女性に求めるもの|終わりのない理想像
この物語は、社会が女性に求めるものの厳しさと、その底知れなさを描いているように感じました。
あえて、「女性」です。
- 痩せていることが美徳とされる風潮。
- できれば料理は上手いほうがいい。
- 男性には従順であることが望まれる。
- 一方で、男性を追い抜くようなやり手の女性は煙たがられる。
どれだけ応えようとしても、その基準が満たされることはありません。
誰かの期待に応え続ける行為は、まるで終わりの見えない徒競走のようです。
考えを整理しようと調べているうちに、シーシュポスの岩の逸話にたどり着きました。
神々がシーシュポスに科した刑罰は大岩を山頂に押しあげる仕事だった。
だが、やっと難所を越したと思うと大岩は突然はね返り、まっさかさまに転がり落ちてしまう――。
シーシュポスの神話 (新潮文庫) あらすじより
さらに調べを進める中で、「賽(さい)の河原の石積み」という日本の慣用句にも行き着きました。
私たちの日々の努力は、どこかこれらに似ているのかもしれません。
おそらく、社会が女性に求める理想像は、最初から満たせるようにはできていないのだと思います。
だからこそ、誰かに認められることを目指し続けるのではなく、「これでいい」と自分で線を引くこと。
それこそが、自分自身を守るために必要な視点なのかもしれません。
『BUTTER』が教えてくれたこと
BUTTERは、食、人間関係、そして社会の価値観を通して、私たちの内側にある感情を静かにあぶり出してくる作品でした。
カジマナと里佳の関係に見える、「特別でありたい」という欲望。
伶子との関係に滲む、近しいからこそ揺らいでしまう距離感。
そして、社会が女性に求め続ける理想像と、終わりのない違和感。
それらはどれも、決して物語の中だけのものではなく、私たちの日常にどっかりと存在しているものだと感じます。
だからこそ、この作品を読み終えたあとに残ったのは、誰かの価値観に応えようとすることよりも、自分自身の感覚を大切にしたいという思いでした。
手帳を書く時間も、読書をする時間も、そして日々の暮らしの営みも、すべては自分の輪郭を守るためのもの。
外側に揺さぶられながらも、確かな内側に戻ってくること。
その大切さを、あらためて教えてくれた一冊でした。

もりー
最後までお読みくださりありがとうございました☆