前回は、「長女ちゃんは知的障害ではないと思うのよね」と言われた出来事について書きました。
今回は、「検査を受けてお母さんはどうしたいんですか」と聞かれた件について綴っていきます。
「検査を受けて、お母さんはどうしたいんですか」と聞かれて
実は、この言葉が出る少し前に、先生からこんな質問をされていました。

検査を受けて、お母さんはどうしたいんですか。
その瞬間、私は正直、戸惑いました。

どうしたいんでですか?と聞かれても・・・
と、反射的に思いました。
やはり私は、あの質問は少し失礼だったと思っています。
私が伝えたかったこと
その場では先生の質問の真意がわからず、私はこう答えました。
医療や福祉を身近に置いておきたいんです。
今は受給者証も取り下げになってしまい、娘と支援をつないでいるものは、ほとんど医療だけになっています。
だから、今の娘の状態を改めて把握したい。
そのために通院し、必要なら検査も受け、必要な支援は続けていきたいと思っています。
私は、
- 娘のことを少しでも多く知りたい。
- 必要なときに支援へつながれる状態を保っておきたい。
といつも考えています。
そんな私にとって、数年に一度訪れる検査は、娘の現在地を知ることができる大切な機会なのです。
あとになって気づいた先生の意図
その後、この話の流れで先生は、こう続けました。

私は、長女ちゃんは知的障害ではないと思うのよね。
ブログを書きながら振り返ってみると、先生は最初からその話につなげたかったのかもしれないと、今になって気づきました。
だから、以前言われた「大学病院にこだわるのよね」という言葉にもつながっていたのかもしれません。
ようやく一本の線として理解できました。
とはいえ、やはり私は思います。
私は先生から「今後について一度相談しませんか」とお声がけいただいたので、自分の考えをお話ししました。
相談しましょうとお声がけいただけば、こちらの状況をお伝えする。
そんな熱心な先生にお世話になれるのならと思い、私は積極的に娘の状況や考えをお話ししていました。
それなのに、あとになって「相談が大好きなのよね」と陰で言われていたことを知り、とても複雑な気持ちになりました。
それを「相談好き」と受け取られていたのだとしたら、やっぱりとっても悲しいです。
「検査を受けてどうしたいんですか」という質問は難しいと思う
私は強く思います。
この質問は、とても難しい質問だと。
正確に言えば、「親として受けさせたい」ということになります。
もちろん、本人が強く拒否するなら、その意思は尊重しなければなりません。
でも、正直に言うと、私は「検査を受けてどうしたいか」なんて、あまり考えたことがありませんでした。
娘が診断を受けてからずっと、時期が来たら検査を受けるものと、極端な話、それくらい自然なこととして受け止めていたのです。
なぜなら、長女は知的障害と境界知能の境界線上にいます。
だからこそ、次の検査結果によっては、知的障害と判定される可能性もあります。
もしそうなれば、療育手帳の取得を検討することになるかもしれません。
受けられる支援も変わります。
本人の意思を尊重することは大前提ですが、将来の進路として特別支援学校という選択肢が見えてくる可能性もあります。
つまり、検査結果は、娘のこれからの選択肢や受けられる支援に関わる、大切な情報なのです。
だから私は、「知的障害ではないと思う」という言葉を、軽く口にしてほしくはありません。
知的障害かどうかという判断は、その子の人生や受けられる支援、将来の選択肢にも関わる、とても重いものです。
だからこそ、親としては定期的に検査を受け、今の状態を正しく把握したいと思うのです。
検査は娘の現在地を知るため
親は子どもの一番身近なサポーターです。
だからこそ、
- 今、この子はどんな状態なんだろう。
- 何か変化はあるだろうか。
- 現在、必要な支援は何だろう。
そう知りたいと思うのは、ごく自然なことではないでしょうか。
検査を受ける目的は、診断名を付けることだけではありません。
子どもの現在地を知り、これから先を考えるための大切な材料でもあります。
娘の現在地を知りたい。
その現在地をもとに、これからのことを考えたい。
親として、そう思っているのです。
今回は、「検査を受けてどうしたいんですか」と聞かれたときに感じたことについて綴りました。
次回は、この【記録】シリーズ最後の記事です。
相手を理解しようとするあまり、いつの間にか自分の気持ちを後回しにしていたこと。
そして、この出来事を通して私が気づいたことを書きたいと思います。

もりー
最後までお読みくださり、ありがとうございました✰