前回の記事では、「診断名にとらわれないでください」という言葉について感じたことを書きました。

今回は、その流れで「大学病院にこだわっている」という言葉について考えたことを綴っていきます。

必要を求めることは『こだわり』なのだろうか

教育支援センタの先生が、私について話していた内容のひとつに、

大学病院に、こだわるのよね。

というものがありました。

私はその言葉に憤りを覚えました。

なぜなら、私自身には「こだわっている」という感覚はなく、必要な医療に必死にしがみついているという感覚があるからです。

わが子に必要だと思う医療を求め続けてきたことを、「こだわり」という一言で片づけられていたことが、とても悔しかったのだと思います。

そして同時に、こんなことも考えました。

もしかしたら、他の親御さんたちの価値観や選択についても、同じように簡単な言葉で判断しているのではないだろうか。

そう思うと、とても怖くなりました。

私は何に必死だったのか

私はずっと、医療や福祉とのつながりを失わないよう必死です。

なぜなら、長女が5歳だった10年前は、今よりも医療機関や療育施設が少なく、しょっちゅうパニックを起こす娘を連れながら、支援を求めて探し回る日々を過ごしていたからです。

だからこそ、ようやく築くことができたつながりを、絶やしたくないのです。

どこともつながれず、親子だけで孤独に過ごすことの危うさを、私は身をもって知っています。

やっとたどり着いた大学病院の主治医は、とても親切で、いつも親身になって話を聞いてくださいます。

娘たちの成長を心から喜んでくださる先生です。

その先生と出会ってから、もう10年になります。

この大学病院には、

  • 自閉スペクトラム症の姉妹の感覚統合訓練
  • 定期的に行っているWISC検査
  • 次女のてんかんに関する脳波検査
  • 薬に対して過敏な反応を示す次女の診察と管理(命に関わる可能性あり)

など、さまざまな面で支えていただいています。

なかなか医療につながれなかった時期を経て、今では娘たちの成長を見守っていただける大切な場所になりました。

こうした経緯があっても、これは「大学病院へのこだわり」と言えるのでしょうか。

私は今でも、その言葉に違和感があります。

制度の外側で起きていること

当事者ではないと見えにくいものがあります。

  • 支援につながるまでの苦労。
  • 診断を受けるまでの長い時間。
  • 相談先を探し続ける日々。

これは、実際に経験した人でなければ分からない部分があるのかもしれません。

向こうから、やってきてくれるわけではない支援。

求めても、探しても、自分や子どもに合う支援先と出会えるとは限らない。

時には制度のはざまで、支援から外れてしまうこともあります。

そして何より、支援の仕組みと実際の暮らしの困りごととの間には、少なからず距離があります。

それが、私の感じている支援の現実です。

こうしたことは、きっと外側からは見えにくい。

だからこそ、これからも記録として残し、声を上げ続けたいと思っています。

言葉は時に本質を見えなくする

私は今回、言葉の持つ力についても考えました。

「大学病院にこだわる」という表現を聞くと、頑固さや執着のような印象を受ける人もいるかもしれません。

それが、言葉の持つ力の怖い部分でもあると思います。

言葉はとても便利ですが、短い言葉は特に、時に本質を見えなくしてしまいます。

先生がどんな気持ちでこの言葉を発したのか、私はきっと分かり得ないのだと思います。

子どもたちはその言葉をどう受け取るのだろう

私が一番気になっているのは、今回、娘たちが直接この言葉を耳にしていたということです。

次女は泣きながら、このようなことを叫んでいました。

ママは悪くないじゃん。

こだわってるんじゃなくて、行かなきゃいけないから行ってるだけじゃん。

次女は、自分たちに医療が必要なことを分かっています。

だからこそ、「こだわり」と表現されたことが悔しかったのかもしれません。

そう思うと、やっぱり胸が痛みます。

一面だけでは見えないもの|軽々しく判断しないために

今回の出来事を通して、改めて感じました。

人は誰かの行動や選択を、つい一面だけを見て判断してしまうのだと思います。

もちろん、それは私自身も例外ではありません。

  • もっとこうしたら良いのに
  • あれは違うのではないか

そんなふうに、知らず知らずのうちに誰かを評価していることがあります。

だからこそ今回の出来事は、自分自身の言葉や姿勢を見つめ直す機会にもなりました。

人の言動には、見えない背景があります。

必死さも、不安も、積み重ねてきた時間も、言葉ひとつでは語りきれません。

今回、私は「大学病院にこだわる」という言葉に傷つきました。

その言葉そのものもそうですが、それを娘たちが聞いていたことが何よりもつらかった。

そして、その出来事を娘の口から聞かされたことも、また別の痛みとして残りました。

だからといって、この出来事を「ひどい話だった」で終わらせたくはありません。

この痛みと向き合うなかで、外からは見えないものがあることを、改めて考えさせられたからです。

だから私は、人を軽々しく判断しないよう努めたい。

そして、自分たちが歩んできた道のりを記録として残し、これからも声を上げ続けていきたいと思います。


今回は、「大学病院にこだわっている」と言われて考えたことについて綴りました。

次回は、「長女ちゃんは知的障害ではないと思うのよ」という言葉に感じた違和感と、そこから考えたことについて書いてみようと思います。

もりー

最後までお読みくださり、ありがとうございました✰