前回は、先生から「大学病院にこだわっている」と言われて考えたことについて綴りました。
教育支援センターでのやり取りを振り返る中で、もう一つ、忘れられない言葉があります。
それは、「長女ちゃんは知的障害ではないと思うのよ」です。
今回は、その時に感じたことについて書いていきます。
「長女ちゃんは知的障害ではないと思うのよ」
先生からその言葉を直接聞いたとき、私は違和感を抱きました。
今のところ、長女は知的障害の診断基準には当てはまりません。
しかし、IQ71という数値が示すように、境界知能ゆえの生きづらさを抱えています。
私自身、境界知能に関する書籍を何冊も読み、その特性ゆえの困り感について学んできたつもりです。
私が特に参考になったのが『境界知能の人たち』という一冊です。
境界知能の特性や、日常での困りごとがとても具体的に書かれているのです。
だから私は、

そうそう、長女の苦労ってそういうことだよね。
と腑に落ちる場面が何度もありました。
そして、長女のこれまでの姿と重ね合わせながら、「だからこんなに苦労していたのか」と納得する部分もたくさんありました。
先生が「知的障害ではないと思うのよ」と言った背景には、どんな思いがあったのかは分かりません。
しかし、その言葉を聞いた私の頭に浮かんだのは、

だから、何なの?
という思いでした。
知的障害ではないからといって、生きづらさがなくなるわけではありません。
現に長女は困り感を抱え、その困り感があるからこそ教育支援センターを利用していました。
その言葉の意図はわからない
私はこれまでにも、似たような言葉を何度かかけられてきました。
特に障害とかではないと思います。
そんな言葉を聞くたびに、
- 私の考えすぎだったのかな
- 私が大げさに受け止めているだけなのかな
と落ち込みました。
その一方で、
という疑問は深まるばかりでした。
親は自分を責めてしまう
先生や支援員さんは、ポジティブな言葉をかけようと努めてくださっているのかもしれません。
しかし、毎日子どもと生活している親としては、その言葉が「普通の子の範囲ですよ」と言われているように聞こえてしまうことがあります。
すると私は、
- もっと頑張らなきゃ
- 私の関わり方が悪いのかもしれない
と、自分をどんどん追い詰めました。
診断名よりも、見てほしいものがある
目に見えない障害の場合、診断名以上に大切なのは、実際の生活の中でどんな困り感を抱えているのかだと思います。
周りからは「問題ない」と見えていても、その裏側には、本人の並々ならぬ努力が隠れていることがあります。
子どもたちは、大人が何を求めているのかをよく見ています。
そして、その場で求められている”正しさ”を読み取り、それに合わせようと懸命に頑張っています。
親は、その努力を近くで見ていつもりです。
だからこそ、「知的障害ではないと思います」という言葉を聞くと、その見えない努力や日々の苦労は伝わっていないのだろうか、と悲しくなってしまうのです。
長女はとても努力をしています。
それでも、その結果は「普通の子と同じくらい」にも、なかなか届きません。
子どもが、毎日どれだけ頑張って、その生活を成り立たせているのか。
そこに目を向けてほしいと、私は強く思います。
次回は、

検査を受けて、お母さんはどうしたいんですか
という問いを投げかけられたときの私の戸惑いと、その後に考えたことについて書きます。

もりー
最後までお読みくださりありがとうございました✰