最近、とても考えさせられる出来事がありました。
その出来事を通して改めて感じたのは、子どもの気持ちは親が思う以上に見えにくい、ということです。
親としては「何かあったら話してほしい」と願っています。
けれど実際には、親を思うからこそ言えないことや、ひとりで抱え込んでしまうことがあります。
今回の出来事から、私が考えたことを書いてみようと思います。
子どもは親を守ろうとする
その出来事自体も大きな衝撃でしたが、それ以上に私の心に残ったことがあります。
それは、
親としては、何か困ったことや辛い出来事があったら話してほしい、と思っています。
これはきっと、私だけではないはずです。
でも、現実には、子どもは必ずしも話してくれるわけではありません。
むしろ、親を思うからこそ話せないことがあります。
今回、娘たちはある出来事を1週間抱え込んでいました。
抱え込んでいた理由を聞くと、
私はその言葉に、とてつもないショックを受けました。
子どもというのは、自分が傷つくことよりも先に、親が傷つくことを心配することがあるのです。
そして、その優しさゆえに苦しみを抱え込んでしまうことがあることを、改めて痛感しました。
「何かあったら言ってね」だけでは足りない
私はこれまで、娘たちとは何でも話せる関係性でありたいと、努めてきたつもりです。
でも、今回のことで気づいたのです。
- 親を困らせたくない。
- 親を悲しませたくない。
- 親を傷つけたくない。
そんな気持ちから、自分の中にしまい込んでしまうことがあります。
考えてみれば、私自身も子どもの頃にそういう経験がありました。
親を心配させたくなくて、言えなかったこと。
今振り返ると、いくつも思い当たります。
だから私は、子どもが私に相談できなかったことを、決して責めないように気をつけよう、と今は思っています。
長女ひとりだったら、私は知らなかったと思う
今回の出来事で、もうひとつ考えたことがあります。
もし、その場にいたのが長女ひとりだったらどうなっていただろう、ということです。
長女は境界知能です。
相手の言葉をそのまま受け止めやすく、自分の気持ちを整理して伝えることも得意ではありません。
今回、私がこの出来事を知ることができたのは、長女と次女の二人がその場にいて、お互いに確認し合うことができたからでした。
そして最終的に、次女がパニックになったことをきっかけに話してくれました。
けれど、もし長女ひとりだったら。
私はこの出来事を知ることがなかったかもしれません。
そう考えると、とても怖くなります。
なぜなら、表に出てこなかっただけで、長女の心の中には悲しさや混乱が残り続けていたかもしれないからです。
私たちは子どものすべてを知ることはできない
親であっても、先生であっても、子どもの気持ちをすべて把握することはできません。
- 何を見ているのか。
- 何を聞いているのか。
- 何に傷ついているのか。
- どこまで抱え込んでいるのか。
そのすべてを知ることは不可能です。
だからこそ私は、「何も言わないから大丈夫」とは思わないようにしたいと、改めて思っています。
もしかしたら、
- 誰にも言えないまま苦しんでいることがあるかもしれない。
- 言葉にならないまま抱えていることがあるかもしれない。
今回私の耳に入った出来事は、たまたま表に出てきただけ。
本当はもっとたくさんの子どもたちが、誰にも言えないまま、誰にも気づかれないまま、悲しい気持ちを抱えている可能性があるかもしれません。
子どもの沈黙は安心材料ではない
今回の出来事を通して、私が一番学んだことがあります。
それは、
- 何も言わないから大丈夫。
- 問題なさそうだから大丈夫。
そうとは限りません。
子どもは大人が思う以上に周りを見ています。
大人が思う以上に空気を読みます。
そして、大人が思う以上に優しい。
だからこそ、大人が思う以上に抱え込んでしまうことがあるのです。
私はこれからも、「何かあったら話してね」と伝え続けると思います。
でも同時に、「言えないことがあってもいい」「話せる時が来たら聞かせてね」という姿勢も忘れずにいたいと思っています。
子どもの沈黙を、安心材料にしないために。
今回は、私がこの出来事から考えたことを書きました。
次回は、娘たちが実際に1週間抱え込んでいた出来事について、もう少し具体的に書いてみようと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました★